Search Icons

Site Search

Search within product

第436号 1994(H6).02発行

Click here for PDF version 第436号 1994(H6).02発行

 

 

水稲栽培における追肥の水口流入施肥法

茨城県農業総合センター
竜ケ崎地区農業改良普及所
課長 柳町 進
専門員 木村 知
技師 久保 洋一

Introduction

 昨年公表された新政策において企業的な農業経営体の育成が打ち出されており,稲作部門においても大規模経営体による低コスト経営が求められている。これを具現化するための課題の一つとして作業の省力化があげられる。

 そこで今回は施肥時間,特に真夏の炎天下のもとで行われる追肥作業時間を大幅に短縮することが可能で,かつ特別な装備が不要である肥料の水口流入施肥法の現地実証試験結果について報告する。

 流入施肥とは水溶性の肥料を水口から灌漑水と一緒に圃場に流し込む方法で次のようなメリットがある。

ア,炎天下時,重い肥料を抱えて水田内を歩行しながら散布する必要がないため施肥労力(時間,質)の軽減効果がある
イ,専用の器具等は不要である
ウ,肥料が直接稲体にかからないので肥料焼けの心配がない
エ,同時に複数圃場に施肥が可能で省力的である
オ,灌漑水と同時に肥料を流すことができれば水管理に要する時間の有効利用が図られ,圃場が大区画化するほど省力効果が高まると考えられる。

 茨城県における1990年の水稲の10a当たりの作業時間は42.4時間である。(表1)

 この中で,施肥作業についてみてみると基肥,追肥を合わせて全労働時間の6%を占める。施肥に係る労働時間を1980年と比較すると,全労働時間が10年間で70%に減少しているのに対し,施肥作業は75%と他の作業に比べ省力化の度合いは少ない。これは施肥作業が人力に頼る場面が多いためである。

 さらに,全体の労働時間に占める割合は少ないものの,炎天下の追肥作業等農家にとってはかなりの重労働である。稲作農家が規模拡大を実施する際には労働の質の改善も図る必要があるといえる。このため,農家の協力のもとに当試験に取り組むこととなった。

2.実施農家の概要

 今回の試験は茨城県稲敷郡河内村の古河林下営農改善組合(会長松本昭南氏)の全面的な協力のもとに実施した。当組合の構成メンバーは6名で地域の水田農業の担い手として活躍している面々である。水稲の省力新技術に対しての取り組みは熱心であり,平成4年から流入施肥法や乳苗育苗,緩効性肥料,直播栽培等の試験に取り組んでいる。各試験圃はメンバーの圃場に設置しており,生育調査,収量調査はメンバーの現地研究会の一環として実施している。

 なお,今回の報告に際しては,平成5年度のデータは現在整理中であるため平成4年のデータを掲載した。

3.試験の方法

 試験は穂肥時に液肥専用肥料を使用して実施した。なお,基肥については慣行法で施用している。

 試験は施肥時の水管理(残留水の量)の違いにより大きく2区に分けて実施した。(表2)

 試験区の面積は農家の協力により,地域のほぼ平均程度の区画である30a(30m×100m)と37a(37m×100m)の圃場で実施し,耕起,代かき時に十分に均平作業を行ってもらっている。灌水の方法はパイプラインで,流量は7トン/毎時程度である。また,当地域は利根川流域で地下水位が高いため,試験田の減水深は1.5cm/日程度であり保水性は高い圃場である。

ア,湛水時施肥法は施肥前に圃場にあらかじめ水を3~4cm張っておき,灌水しながら水口に肥料を投入し,施用後水深5~6cmになるまで追水を行う方法である。

イ,落水施肥法は一度湛水したあと落水(ひたひた水程度)し,再度灌水しながら肥料を投入し水の走りを利用して拡散を助長しようとする方法でアと同様水深5~6cmになるまで追水を行った。

 肥料の投入方法は肥料袋の封を切り,灌水と同時に水口上部から直接投入する方法で行った。(写真1)いずれの方法とも施用後は水尻からの落水は行わず自然減水にまかせた。これは田面水に溶けている肥料成分を十分に土壌に吸着させることと,排水路の水質汚染を回避するためである。

 調査は次のポイントにより実施した。

ア,圃場内に肥料の成分が均一に拡散するかどうか。
イ,圃場内の収量,品質が均一であるかどうか。
ウ,収量,品質が地域の平均と同程度の水準であるかどうか。

 このため,施肥後30時間経過後の圃場内の各地点(9カ所)のEC値の測定と,地点毎(水口,中央,水尻)の生育調査及び坪刈による収量調査を行った。

4.流入施肥の作業時間

 流入施肥に携わった拘束時間(投入作業,投入前後の水管理作業)はha当たり33分(追肥2回施用)で,人力による作業時間の約11%程度に省力化されている。(表3)

5.肥料成分の拡散精度 

 肥料施用後の拡散精度を確認するため施用後30時間経過した時点で圃場内各地点(9カ所)のEC値の測定を行った。(図1)

 なお,今回の試験では窒素成分の測定はできなかったためEC値により肥料成分の拡散精度を判定することとした。

 湛水施肥法のEC値は水口から距離が離れるにしたがい低下している。水口近辺のEC値は0.60であり,水尻近辺は0.3とEC値の差は最大で0.3であった。肥効が出始めてからは圃場の中央付近を境に,水口側は稲体の葉色が濃く水尻側は薄いことが見た目ではっきりと確認できるほどであり,水口から50mまでしか肥料成分が拡散していないことが推測される。

 一方,落水施肥法のEC値は水口から離れるにしたがいやや増加する傾向があるが,その差は最大で0.12と湛水時施肥法に比べかなり少ない。見た目でも水口近辺と水尻近辺の稲体の葉色の差は見られずほぼ均等に肥効が出ているようであった。この2圃場の他に15a(30m×50m)の小区画の圃場でも湛水施肥法を試みてみたが,圃場内各地点でのEC値の差は30aの圃場ほどはなく,葉色の差も見られなかった。

 これらEC値の測定結果から見て,長辺が50mを越える圃場では落水施肥法の方が散布精度が高いといえる。落水施肥法は湛水施肥法に比べ水の走りが大きく,これが肥料の拡散を助長していると思われる。なお,長辺が50m以下の圃場(15a以下程度)では湛水施肥でも落水施肥でも拡散精度には問題はないと思われる。

6.収量調査結果

 湛水施肥法については2ケ所(水口,水尻),落水施肥法については圃場内3カ所(水口,中央,水尻)の坪刈り調査を行った。(図2)

 水口,水尻の坪刈り地点についてはパルプ,排水口から圃場中央に向かって10m地点で行っている。

 湛水施肥法については,施肥後の肥効に差が現れたことと同様に収量にも大きな差が認められた。水口側の方が水尻側より収量は高く,その差は120.6kg/10a(27%)と約2俵の差があり,施肥直後の拡散精度の差がそのまま収量に反映されたことがわかる。収量に差が出た要因は穂数の差によるところが大きい。(表4)

 落水施肥法についても水口の方が圃場中央や水尻よりやや収量は高いが,その差は25kg/10a程度(5%)と湛水時処理に比べ圧倒的に収量差は少なく,ほぼ均一に肥料成分が拡散していることがうかがえる。また,圃場の平均収量を近隣の慣行施肥法による同品種圃場での坪刈調査結果と比較してみると,ほぼ同水準が得られている。

 これらの結果から,当地域においては平均的な圃場(30~40a程度,前述したように長辺が50mを越える圃場)では落水施肥法が適しているという結果となった。

7.流入施肥法の留意点

 今回の試験では当地域においては落水施肥法により肥料成分をほぼ均一に拡散することが可能という結果を得た。しかし,地域によって圃場及び圃場周辺の諸条件は異なってくるため,現時点においては,すべての地域に適合するとは言いがたい。

 灌水の流量は地域によって異なる場合があり,これによって拡散精度が異なってくることが考えられる。このため,あらかじめ現地適合試験を実施し,地域にあった投入方法,水管理(残留水の量)を把握しておくことが必要である。当地域においても今後も引き続きデータの収集を行っていく必要がある。

 また,減水深の大きな圃場や漏水の激しい圃場では十分に肥料が拡散する前に水切れをおこすことや排水の汚染等の危険性があり,不適である。

 圃場の均平度も重要で田面に凹凸がある場合は施肥ムラができるため,耕起,代かき時には圃場の均平に十分に留意した作業が必要である。

8.今後の課題

 流入施肥については,以前から各地で試験が行われているが,一般に普及しないのは施肥や収量のムラが起きる危険性があるためと考えられる。しかし,流入施肥法の省力効果は極めて大きいため,今後ともこれらの不安定な要素を解消するためのデータの収集が必要である。

 また,コスト面においても現時点では専用肥料は慣行法で使用されている化成肥料より高価であるため,省力効果とのかねあいのなかで経営内部でどこまで低コスト化が発現するかの検討も必要である。さらに,今後は水田経営の大規模化の中で圃場の大区画化も図られる方向にある。より一層の省力効果を発揮するため,1ha程度の大区画圃場における試験も必要となってくる。

 

 

新潟県の花き園芸
(雪深く,自然豊かな「ユリの里」堀之内町を例として)

JA新潟県経済連肥料工場
参与 幸田 達治
(元 新潟県園芸試験場長)

Introduction.

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」小説雪国の滑り出しは多くの読者に感動を与え,また雪国新潟を強く印象づけた。新潟県の山間地は冬になると絶え間なく雪が降り続き大地は深い雪に覆われる。

 「ユリの里」として著名な北魚沼郡堀之内町も例外ではなく,我が国有数の豪雪地帯であり,根雪期間(積雪期間)は3~4か月に及び,積雪量は3~4mにも達する。この豪雪特に春の消雪の遅れは農業の大きな障害となる(表1)。また,同町の耕地面積は決して広くはなく,農家1戸当り0.8ha程度である(表2)。

 このためかつては稲作と共に養蚕,冬の出稼ぎと,かます織が生活の支えであった。

 しかし現代ではスカシユリを主体とした花卉球根生産高が22億円に達する(全農業収入の67%に相当し1haの花卉球根粗収入約1千万円)我が国有数のユリ生産地に発展し(表3),このユリ栽培により堀之内町の農業は活性化している。このような雪深い堀之内町がなぜ著名なユリ産地に発展したのだろうか?

 これは原生地の気候が大陸東岸型気候であるユリの生育に堀之内の気候が比較的良く適合していたことも一因であったと考えられるが,最大の理由は戦後いち早く同地にユリを導入した農家の先見の明と,並々ならぬ努力によるものであった。

 本稿では先ず新潟県の花卉栽培の現状について多少述べ,ついで本県最大の花卉球根産地になった堀之内町のユリの栽培発展の経緯と栽培地の土壌,肥培管理の実態を中心に紹介する。

Ⅰ 新潟県の園芸と堀之内町でのユリ栽培

1.新潟県の農業生産と花卉生産の現状

 本県は広大な新潟平野や頸城平野を有することから表4に示すとおり,全農業生産に対する米の生産割合は古くから著しく高く,現在でも66%を占めている。他方,本県は気象条件がチューリップやユリなど秋植え春萌芽型花卉球根の栽培に比較的に適していることから,これら球根類の生産は古くから盛んで,その栽培面積,販売量とも全国1位であり(表5),チューリップは県の花になっている。

 また近年では球根生産だけでなく,ユリやチューリップの切り花生産も急速に進展し,全国でもトップクラスの地位を占めるに至った。なお,これから紹介する堀之内町は本県花卉球根生産高の約25%を占める大産地である。

2.「ユリの里」への歩み

 ユリ栽培発展の経緯は,JA堀之内園芸課の資料(図1~3)などから,(1)挑戦と模索の時代(1948~1956年),(2)技術確立の時代(1957~1969年),(3)産地確立時代(1970~1987年),(4)花卉戦国時代(1989~現在)に大別出来ると考えられる。

(1)挑戦と模索の時代(1948~1956年)

 堀之内町の農家は1590年(昭和25年)頃では,豪雪に悩まされながら稲作,養蚕,ワラ工品そして出稼ぎにより生計を支えていた。この生活からの脱却と農業の発展を目指した若い有志10名が花卉園芸組合を設立した。

 20aの畑でドイツスズラン,西洋シャクヤクなどの栽培を開始した。食料増産が至上命令の当時ではこの花作りは親や周囲の反対や圧力が強く,気違い扱いにされるなど,現代の社会状況からは想像もつかない苦しみの中で行われた。1951年(昭和26年)ユリ球根を東京市場へ出荷(粗収入百万円/10a)したころから生産は除々に軌道に乗り始め,同時にユリ球根産地として名乗りを上げた。

 この時代は出稼ぎによる種苗費の調達や栽培技術の模索で一番苦しい時代であったと,当時の組合長であった滝沢茂左エ門氏(花き団地育成の成果で新潟県朝日農業技術賞を受賞)は語っている。

(2)技術確立時代(1957~1969年)

 球根の高値により組合員は増加し1957年(昭和32年)には70名にまでなったが,その年球根価格が大暴落し,加えて球根収量は連作障害等により減少しはじめ,これにより組合員は半減した。しかしこの逆境のなかで市場競争力を着実に付け,「ユリの里」堀之内町を築き上げたのは,まさに「花気違い」達の情熱であった。

 彼等は専門知識の不足は東京市場始め各地の大学や試験場等至る所ヘ視察に赴き,一方,専門家や有識者を招いて学習会を開くなど地道な努力を続け,花の勉強は怠らなかった。そして生産者の中には「越路スカシユリ」「雪の光」「改良エンチャメント」など,学者や研究者を驚かす優良新品種を育成し続々と世に送り出すと共に,ユリ栽培での計画的な輪作体系の確立と土づくりに努力していった。またシャクヤクの優良品種やナルコ等の導入と増殖技術を自ら開発し,栽培面積を益々拡大していった。

 加えて,1966年(昭和41年)田川平の開拓パイロット事業による優良農地の完成と(畑造成130ha),その時の農道整備事業の進展は球根類を主体とする花き生産を側面から支援することになった。

 これらにより1969年(昭和44年)の花卉販売総額は2億円を突破し「花卉産地」としての素地が築かれた。

(3)産地確立時代(1970~1987年)

 1970年(昭和45年)米の生産調整が始まるとともに,花卉球根の生産意欲は一層向上し,花き栽培の専業農家が続々と誕生した。このため1975年代(昭和50年)に入るとそれまで生産の主体であった球根は過剰基調を迎えるようになった。そこで余剰球根によるユリの切り花出荷が試みられ,この成功により球根に付加価値を付ける切り花栽培は急速に拡大し,以降,ユリ栽培の主体は球根生産から切り花へと移行していった。

(4)花き戦国時代(1989年~現在)

 日本の高度経済成長とともに花の需要は年々増加する中で,1989年(平成元年)に球根類の一部品目の隔離栽培の撤廃と,「花の万国博覧会」を契機に球根類も国際化時代を迎えた。これにより全国至る所に新興花卉産地が出現した。

 これに対応して6月から9月まで全国一のスカシユリ等の切り花出荷量を誇っていた堀之内町は,新たにハウスのリース事業を導入し,5月から12月までの周年切り花出荷体制の確立を目指し,さらに産地の強化を図っている。

Ⅱ ユリ栽培地の実態と肥培管理

1.ユリ栽培地の立地条件と耕地土壌の化学的性質

 ユリの耕地は信濃川支流の魚野川西岸に発達した標高200~300mの河岸段丘上にあり(写真1),その土壌は表層腐植質黒ボク土壌(黒ボク土壌)地帯と,畑地造成時に表層の黒ボク土壌が除去され,心土の洪積層が露出した地帯に大別出来る(写真2)。

 この地帯を代表すると考えられるユリ畑5地点(黒ボク土壌畑3点,洪積層土壌畑2点)の作土層(主要根圏層)のユリの収穫時での化学的性質をみると(表6),

a)可給態Nは一圃場を除いて4~6mg%で比較的高く,また硝化力も著しく高い。
b)有効態PO4(トルオークPO4)は40~61mg,置換性K,Caはそれぞれ39~95mg%,125~230mg%で豊富である。
c)置換性Mgは14~56mg%で少なくはないが,Mg/K比はいずれの圃場でも限界値とされる0.73以下である。従って,ユリ耕地土壌は多少K偏用になってはいるが,全般的にみれば生産者の努力が良く反映されており十分熟畑化していると判断される。

2.ユリ栽培と肥培管理の実態

 堀之内町でのユリ栽培は前述の様に球根養成栽培(球根生産)と切り花栽培(通常の露地栽培と球根冷蔵後5月~7月に定植し,8月~10月に切り花出荷する抑制栽培が主体)が行われている。(図4)

 これらユリ栽培は連作障害を克服し,産地の永続的発展を図るため,同一圃場での作付けを4年に1回とする輪作体系がとられており,また,耕地の地力維持増強のため,その間緑肥作物の栽培すき込みや,多量の堆厩肥の投入が行われている。施肥は球根養成・切り花両栽培とも経験的に基肥中心で行われており,その10a当りの施用量は窒素・リン酸・加里とも養成栽培で50kgまたはそれ以上,切り花栽培で30~40kgであり,極めて多量である。

 しかし,前述の様にユリ耕地土壌のリン酸・加里などの養分は,すでに極めて豊富になっており,また,筆者らの調査・研究結果からみて多量に施用された基肥窒素の肥効は必ずしも高くはない。従って,基肥多量施用は肥効と環境保全の両面からみて,再検討の段階に来ていると考えられる。また,近年抑制栽培のユリにカルシューム欠乏によると判断される生理障害の発生も認められており,施肥面では検討すべき問題が多い様である。

Conclusion

 豪雪の地堀之内町に花卉園芸組合を設立し,リの栽培に情熱を注いできた10人衆を始めとした多くの生産者の苦労は現在町の活性化をもたらす傍ら,多くの若い優秀な後継者を育てて来た。まさに永年の苦労に花が咲いたと言えよう。

 しかし今後日本でのユリ産地として一層発展するためには,改善すべき点がまだ多いと思われる。肥培管理の面でも省力で肥効が高く,しかも環境に優しい肥料・施肥法の開発・確立が急務であると考えられる。

 そこで上述の条件に適合した肥料として,被覆肥料(例えばロング)を主体とした配合肥料を試作し,来年度展示試験を行いたいと考えている。